日本 戦争 勝機はあったのか?

2021年8月2日

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏しました。

 
無条件降伏というのは、降伏の中でも一番屈辱的です。 何も交換条件無しに降参するということを意味します。いわば、負けの中の負けです。
 

このような悲惨な展開になった原因は、数多くあります。もちろん、アメリカ側の問題も​非常に大きいです。しかし、ここでは日本軍の戦略について見ていきましょう。

 

​海軍と陸軍の対立

様々な見解がありますが、海軍が主導する戦争なのに、陸軍が出しゃばる形となってしまいました。
 
太平洋には多くの島がありますが、これらを占領するにはまず、海を制する必要があります。当たり前ですが、輸送船だけでは上陸できません。それなりの戦闘能力を持った軍艦や飛行機が必要です。このことから、海軍が少しでも戦争に反対すれば戦争すべきではないのです。ましてや陸軍と海軍が対立している状態で戦争するのは以ての外です。
 
しかし、海軍の開戦反対派は少数で、開戦派にそのまま押し切られてしまい、ついにハル・ノートを突きつけられ、開戦反対派も後に引けなくなりました。
 
そして、太平洋戦争に突入し多くの死者を出すこととなりました。
 

​日本の勝機

日本には勝機があったか。よく、「軍部が狂って勝機がない戦争に突入した」、などと言われていますが、必ずしもそうではなさそうです。軍部よりも、政治家の方がよっぽど問題でしょう。軍の暴走を許し、戦争を甘く見て、外交にもブレがあるなど、開戦するかしないか以前の問題でしょう。
 
 
しかし、それでも​勝機があったかもしれません。

 

​もし日本が西に攻めていたら

​日本は快進撃の後、ニューギニア、オーストラリア、フィジー、サモアなどを狙っていました。(南進)
 
 
しかし、補給が苦しくなる一方でした。米豪を分断させる算段だったようですが、その前に日本の補給路がズタズタになりました。
 
 
では、もし日本が西を攻めていればどうなったでしょうか。西というのは具体的にはインド洋のことです。しかし、このインド洋、もし攻められると連合国軍は大変なことになるのです。
 
 
それは、輸送の拠点になっており、アフリカでの戦線や独ソ戦の支援を行っていたからです。
 
 
もし、インド洋が機能しなければ、ソ連も不利ななりますし、アフリカの植民地も危険になるのです。また、援蒋ルートも絶たれてしまいます。
 
 
実際に、チャーチルはそれを警戒していました。
Wikipediaによれば、『チャーチル英首相は4月7日および4月15日付けのルーズベルト米大統領宛の書簡で、「今、日本がセイロン島と東部インドからさらに西部インドへ前進してくれば対抗できない。蒋介石支援ルート、ペルシャ湾経由の石油輸送ルートやソ連支援ルートが遮断される」とし、4月末までにアメリカ太平洋艦隊が日本の西進を止め、東へ転じさせるべく牽制行動をとるよう切望した。』とあります。
 
実際日本軍はセイロン沖海戦でイギリスに圧勝しており、インド洋の制海権は日本のものになっていたのです。
 

​運命を分けるドーリットル空襲とミッドウェー海戦

アメリカはチャーチルの要請を受けて、ドーリットル空襲を行います。ミッドウェー諸島を前線基地として、空母2隻から飛び立ったB-25が日本本土を空襲しました。
 
 
この時日本政府は動揺し、その後は政府も軍もミッドウェー作戦を推し進めたのです。
 
 
こうして日本はアメリカの陽動作戦に見事に引っかかり、インド洋制圧をみすみす逃してしまったのです。
 
 
その後、珊瑚海海戦においては、数で有利な日本軍でしたが、暗号を解読され、空母一隻を喪失しました。
 
 
そしてミッドウェー海戦では珊瑚海海戦の教訓を生かせず大敗しました。しかし、その後も結局南進を続けました。
 
南太平洋海戦では勝利したものの、ソロモン諸島における戦いで徐々に戦力をすり減らし、補給も滞り、悲惨な結末を迎えるのです。
 
 
今後このような過ちを繰り返すことの無いように、戦略的な意味でも日本は反省すべきです。この内容を​教科書の資料集あたりに載せてもらいたいぐらいです。
 
 
「戦争は悲惨だ」、「平和であるべきだから戦争はダメ」、「日本が戦争を始めてしまった」という抽象的なものだけではなく、どういった戦略が失敗だったかなど、事実について分析することも大切だと思います。それは、今後にも活かせるはずです。